2017語り部交流会が開催されました

2018年2月5日

Filed under: お知らせ — 水土里ネット秋田 @ 9:38 AM

◇◆2017語り部交流会が羽後町にて開催されました◆◇

 

1月23日(火)羽後町文化交流施設「美里音」にて「2017語り部交流会inあきた」が開催されました。

「語り部交流会」は平成23年度に美郷町で開催されて以来、にかほ市、男鹿市、秋田市、横手市、北秋田市と各市町村にて毎年1回行っており、今年で7回目を迎えます。この会の趣旨は農地や疏水を始めとした農業、農村に関わる歴史や文化などを様々な視点から捉え、語り伝えることで先人の思いや昔から受け継がれてきた農村に宿る心を再確認し、地域活力、地域振興に繋げていこうとするものです。雄勝管内での開催は、今回が初めてとなります。

開会に当たり、主催者を代表して秋田県土地改良事業団体連合会雄勝支部の大坂支部長が「湯沢、雄勝地域は雄物川の最上流部にあたり、湯沢ジオパークとして知られる火山活動で形成された自然や湧き出る清水もあります。しかしながら、こうした水の恵みを得ようと私たちの先人が汗を流し、時には涙を流しながら困難に立ち向かい、そうして私たちの今の暮らしが切り開かれてきたという歴史があります。本日は、雄勝の水ものがたりを次世代に繋げ、学び、育てる、未来づくりをテーマに現代の語り部たちの話を訪ね、様々な地域活動に活かしてしていくことで、今、課題に直面している農村の未来について皆さんと一緒に考えてみたいと思います。」と挨拶をされました。

 

始めに基調講演「美しき水土里の郷 おがち」と題しまして、ふるさと水と土指導員/あきた森づくり活動サポートセンター 菅原徳蔵所長にご講演頂きました。

今回は、偉人の菅江真澄をベースに雄勝の歴史を紐解いてくださいました。

菅江真澄は1754年に愛知県に生まれ、1783年2月末に当時30歳で北へ向かって旅をします。三河から北へ向かい、雄勝で初めて冬を体験します。1784年10月から1785年5月までの約半年間秋田に滞在し、その際書いた「秋田のかりね」、「小野のふるさと」という日記や、その30年後再び訪れた際に書いた「高松日記」、「駒形日記」は当時の秋田の風土を知る上で非常に有力な資料となっております。

菅江真澄は、珍しいと感じたものを全てスケッチしており、例えばハキソリ(子どもスキー)、雪車(ソリ)などは「雪国の民具」の中に描き、また、それらをどのように使っていたのかも日記に詳細に記しておりました。

雪国の人々の生活は勿論、文化についても記しておりました。

代表的なものは小正月行事の「雪中田植え」です。

菅原所長は、講演の中で「写真は2005年の駒形小学校で行われた雪中田植えの様子です。今もこの行事を続けているということで私は非常にすばらしいと感じております。特に衣装は臑のハバキや背中のケラなど、徹底して当時雪中田植えを行っていた時の格好と同じ格好にしており、そのことを大変すばらしく思います。」と文化継承がしっかりなされていることを絶賛しておりました。

先人達への思いを次世代に繋ぐことと共に、2020年に東京オリンピックを控え、外国人観光客に羽後町を体験してもらうための「羽後町留学」を紹介し、これまでにない新たな動きへの期待が高まっているとお話してくださいました。

講演を聞きながら参加者全員が菅江真澄と同じ時代で同じ景色を見ている気持ちになったことと思います。

 

続いてお話の会「ひまわり」の皆様による紙芝居「よそうえもんぜき物語」の読み聞かせが行われました。お話の会「ひまわり」は平成14年より稲川カルチャーセンターのボランティアスタッフを中心に結成され、佐藤スミ子代表を始め10名のメンバーで活動しております。

「ひまわり」の皆様は地域の言葉で紙芝居、人形劇を演じることをモットーに旧稲川町や旧皆瀬村の小学校や稲川カルチャーセンターにて子供達、親子連れを対象とした読み聞かせを行っております。

今回読み聞かせ頂いた、紙芝居「よそうえもんぜき物語」も地元の言葉で語られ、大変温かみを感じる作品となっておりました。

 

稲川の三梨地区は皆瀬川を挟み、川西と川東に分かれています。川東には五ヶ村堰があり、水が満々と流れ多くの田んぼを潤しています。一方、この物語の主人公である「麻生与惣右衛門」が生まれ育った川西には皆瀬川よりかなり高台にあり、年間を通して水が不足している状況でした。

与惣右衛門は水が不足しているせいで、村の人たちが春から秋にかけて必死に働いても稲には殆ど実がつかず、子供達がいつもお腹を空かせている状況に心を痛め、どうすれば皆瀬川から水を引くことが出来るかを考えておりました。

そしてその為に測量や、土木工事について学び、川西地区に堰を作るための具体的な測量、設計を行い、実行に移すまで思いあぐねいた気持ちから稲荷神社へ必死にお参りに通いました。その後、夢に御稲荷様が出てきて自分の願いを聴いてくれたことを実感すると、すぐに他の集落の人々を集めて1650年に堰づくりを開始しました。

多くの困難の中でも、人々は与惣右衛門に付いて自分に出来る仕事を一所懸命に行っておりました。しかし、その途中で「蛇ノ崎」という、まるで蛇が胴体を皆瀬川に長く伸ばし頭をグイと持ち上げたような崖があり、堰を作るにあたっての最大の難所に当たります。水を引くにはこの蛇ノ崎の先端にトンネルを掘らなければなりませんでした。一日がかりで鉄のように固い岩盤を叩き続けましたが、一行に進まない状況に村人は次々と諦めてしまいます。

みんなが諦めて去ってしまった中でも、与惣右衛門だけは諦めずに、何年も何年も岩盤を叩き続けました。やがて諦めていた村人達も与惣右衛門の熱意に圧倒され、再び手伝いに戻って来ました。

そして1701年についに51年の歳月をかけて堰が完成しました。その堰は300年以上経った今でも与惣右エ門堰と呼ばれ感謝と尊敬を込めて語り継がれているということです。

続いて、実践報告「学校と土地改良区が紡ぐ水の学び」と題して水土里ネット稲川日野施設管理課長と湯沢市立駒形小学校6年生の皆さんが報告して下さいました。

日野施設管理課長は地元農家の保全活動の支援や秋田ふるさと活力人5期生として県から認定を受けて地元小学校の出前授業を通じ、農業用施設の歴史を伝えるとともに農作業体験活動のサポートも行っております。

水土里ネット稲川では、地域活動プランナーとして駒形小学校の児童の皆さんと農作業体験や土地改良施設の出前授業、ごみ捨て防止標語コンクールの実施など精力的に子供達の学習に関わっています。

春の田植え、秋の稲刈り体験では昔と現代の稲作の違いを実際に行う事で学び、伝統文化の伝承では「縄ない体験」や「雪中田植え」を行っております。

出前授業では「黒坂堰」の役割について現地見学を通した学習を行っております。

子供達は取水源で頭首工から幹線用水路を経て最下流をバスや徒歩で目指します。実際に見学し、施設に触れることで水路の歴史や施設の役割を学ぶ事が出来ます。

続いて、駒形小学校6年生の皆さんが学習したことを写真と共に報告してくれました。

田植えや稲刈りを実際に行った際の泥の感触、楽しさ、そして地域の方々との繋がりがとても深いことが伝わってきました。

今年で縄なえが最後になるが、長いものを頑張って作りたいという意気込み、雪中田植えの衣装を着られるのが楽しみだという言葉には、今年が最後の体験学習となる6年生の皆さんのこれまでの地域学習への思い入れが大変こもっておりました。

また、今回14回目となるゴミ捨て防止標語コンクールで優秀賞に選ばれた「ゴミのない ぼくらが守る 水土里の宝」という作品を書いた児童がその標語について「この標語はゴミがなく自分たちが守っているきれいな水ときれいなお米がこれからも将来に向けてずっと守っていけるような環境を大切にしていきたいという気持ちで書きました。」と語ってくれました。

こうした優秀作品は看板になって学校付近の水路や学校の玄関に立てられます。

水土里ネット稲川では、実際にゴミの処分費が減少傾向となって効果を実感しているとのことでした。

地域と水土里ネットの連携によって、子供達の地域を愛する心、環境を守る心が育まれているというすばらしい事例報告を聞くことができました。

 

続いて「ジオツーリズムがつなげる自然と水の恵み」と題してゆざわジオパークガイドの会の藤木忠良氏による報告がなされました。

湯沢独自の地形には、稲庭に生まれ育った藤木氏も子どもの頃から不思議な地形だと感じており、仕事を退職してから本格的に学び、ガイドの仕事に取り組んでいるということでした。

まずは河岸段丘の出来る仕組みから稲川地区の河岸段丘の特徴について説明して頂き与惣右衛門の住んでいた地域もこの河岸段丘の影響を受けていて二段の段丘の高低差が非常に大きな地域となっていたということを解説して頂きました。

今回は五ヶ村堰と新処堰についての歴史を紹介して頂きました。

五ヶ村堰には川連漆器産業の発達に寄与した歴史があります。川連漆器の木地になる木材を「形木」といいます。切り出された形木は皆瀬川に流され稲庭町岩城橋下流の「五ケ村堰」取入口から用水路に引き入れて、大舘集落の近くの「大舘浜」に水揚げされていました。

大舘浜では「木が着いた!」という号令と共に全員仕事をやめて一心に木の水揚げを行い、終わった後は無事に引き上げられたことを餅をついて祝ったとされております。

そして湯沢名物の「稲庭うどん」は、沖積扇状地の畑作で作付された良質な小麦が産出したことと、豊かな伏流水を利用することが出来たために生まれたそうです。地形に恵まれていたからこそ、大変美味しい特産品を作ることが出来たということでした。

 

藤木氏は、ジオパークをガイドする際はゆざわジオパークのキャッチコピー「いにしえの火山の恵み あつき雪 いかして築く歴史と暮らし」を意識して行っており、子供達に案内する際は五感を使うこと心掛けていることです。そして、自分たちの役割として、地域の人や子供たちに歴史、文化について伝えていくことが重要であると考えていると語っておりました。

こうしたガイドの皆様の取り組みが、地域の風土の未来を守っていくのだと言うことを藤木氏の熱意から学ぶ事ができました。

 

続いて、実践報告「家族で伝える水の物語」と題して水土里ネットうご食料・環境・ふるさとを考える女性の会阿部奈津実氏にご報告頂きました。

阿部氏は羽後町の軽井沢で子育てをしながら専業農家として、お米やトルコギキョウを出荷しています。山間部ということで水の便が悪く、沢の水を引いて生活用水や農業用水として使用したり、土手ヶ沢ため池を水源として利用し、そうした中で水の配分についても、いつも農家同士で話し合いがなされているそうです。しかし、そういった話し合いは父親にお任せしているという状況で、そのような折に水土里ネットうごから女性の会参加のお誘いが来たということでした。その時阿部氏は水土里ネットについても大まかなイメージしかない状態で入会したと語っておりました。

水土里ネットうごが開催している「食料・環境・ふるさとを考える女性の会」は普段土地改良区の活動に実際触れることの少ない組合員家庭の女性に土地改良区を理解してもらうための活動を行うために設立された会となっております。

活動としては施設の見学会や事業の説明や講演会を行い、平成17年度から始まって、平成29年度までに延べ159人が参加しているとのことでした。

実際参加してみて、阿部氏は「毎日何気なく通っている景色の中に水土里ネットの施設があるということや、その役割が自分たちの生活に欠かせないものであるということがわかりました。そして、自分の子供や家族に、女性の会で学んだことを教えてあげることが出来るようになり、大変よかったと思います。」と語っておりました。また、地域の人たちとの交流を通して、新しい情報を取り入れることが出来る点や、過疎化が進む地域においては「女性の会」がコミュニティの役割を果たすということを報告してくださいました。

「人任せにするのではなく、自分から参加してどんどん学ぶことが大切だと感じております。」と、女性の会に参加することで視野が広がり、発見があったことを教えてくださいました。

 

最後に、語りフォーラム「雄勝の水物語を次世代に継げる」をテーマにパネラーとして今回の語り部の講師である日野課長、藤木氏、阿部氏、そしてオブザーバーとして秋田県農林水産部農地整備課の能見課長が意見を出し合いました。

そして、まちづくりファシリテーターの平元美沙緒氏がこの会のコーディネーターを行ってくださいました。

まずは「基調講演、読み聞かせ、ほかの方の実践報告を聞いて感じたこと・印象的だったこと」について能見課長にお話頂きました。

能見課長は「私の出身地は京都府宇治市で、秋田県で冬を過ごすのは今回が全く初めてです。本日も講演の中にハレとケの話が出ておりましたが、皆様が日常(ハレ)だと思っていることが他の地域の方から見ればとても非日常(ケ)であるという風に見る観点もあります。ジオツーリズムの藤木さんの歴史・文化を地域の人たちに伝えていくことが自分たちの役割だという言葉、阿部さんの当たり前にそこにある施設が暮らしに欠かせない大切な施設だという言葉が今日の会に非常に重要な役割を果たすと感じております。」と語りました。

「みなさんが次世代に継ぎたい、大切にしたいことは何ですか?」というテーマにおいて、藤木氏は「湧水を大切にしたいと思っていますが、使われていない湧水が沢山あり、課題だと感じております。現在行っている企画の中で、例えば味比べを取り入れるなどして、多くの方に湧水のことを知ってもらいたいと考えております。」とお話くださいました。

そして、語り部交流会の参加者から意見を付箋に書いてもらい、その内容の紹介が行われました。一番多かったキーワードは「女性」であったそうです。

その際寄せられた質問に「女性の視点を取り入れて変わったことはありますか?」というものがありました。

 

その質問に対し阿部氏は「女性たちが施設見学に参加すると、家庭内で食事の時間などにその話題が出たり、出掛けた際に実際に見学した施設を他の人に紹介したりと、女性には情報を伝え、繋げる力があるので、そういうところで理解が広まったという印象を受けます。」とお話下さいました。

「雄勝の水物語を次世代に繋げる~学び・育てる未来づくり~」についてのテーマでは、日野課長は「今までの活動は今回のテーマに非常にマッチしていたように感じます。今後も地域活動プランナーとしてこれまでの活動を継続させていきたい」と語ってくださいました。

また、能見課長は「秋田県には自慢できるものが大変たくさん存在しています。是非、自信をもって発信していって頂きたいと感じております。その際、「伝える」ということも大切ですが「伝わる」ということが重要になってきますので、どうか「伝わる」ことを念頭に活動して頂きたいと思っております。」と今回の語り部交流会についての感想を述べてくださいました。

閉会の挨拶では雄勝地域振興局小松農林部長が、3つの格言で締めくくってくださいました。

一つ目は「温故知新」、先人達の偉業に学び、子供達の学習発表が今後地域の歴史を継承していくということへの感動。二つ目は「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」先人達が開いた水は昔の水とは違っているが、自分たちも絶えずその意思を継いで次世代へ繋ぎ、未来へ発展させねばならないという使命感。結びに「冬来たりなば春遠からじ」という言葉で「今は厳しい冬の中ですが、春にまた農作業がスタートした時に是非本日の語り部交流会のことを思い出して下さい。きっとまた違った気持ちで仕事が出来ると思います。」と、この語り部交流会を締めくくってくださいました。